パラ―ディオを語る建築家

パラ―ディオについて前に少し書いたが、そのパラ―ディオに関連する動画を。

磯崎新という建築家をして、30年近く経たなければパラ―ディオが何故重要だと言われていたのか、分からなかったと言わしめている。
何故16世紀のひとりの建築家が現在においてもこれほど興味深い対象として扱われるのだろうか。

「建築の真髄に迫りうれた数少ない建築家のひとり」、「パラ―ディオがローマの建築を学ぶことから始めて彼の道を切り開いたように、パラ―ディオを研究することから自分の道を探してこれたのかもしれない」。

何故500年前に生まれた建築家の残したものが現在性を有するのか。
「特殊な歴史的コンテクストに深く規定された特異的な作品や思想が、普遍的な妥当性を帯びて現れるのはなぜなのか?」、大澤真幸は著作の中で、これを謎と呼んでいる。そして、その後数行にわたってすごい興味深い文章が続く。それらの作品はその特異性ゆえに普遍なのだと。

では、「それは、どこから来るのだろうか?」