音楽を聴く場所(1)

ベルリンフィルの現コンサートホールはベルリンの壁に沿って建てられている。爆撃によって1944年に旧ホールが焼失し、戦後コンペによって設計者としてハンス・シャロウンが選ばれ1960年から63年にかけて建設された。

ベルリンフィルは1882年創設。『音楽の<現代>が始まったとき』にパリの音楽の大衆化がオーケストラの発展に及ぼした影響についての叙述があるが、19世紀末のベルリンでも同じこと、オーケストラを聴く大衆の登場、が起こっていたということだろうか。本にはブルジョワジーの台頭とそれにともないオペラを含む「劇場音楽」が人気を得ていた状況、その後パドル−をはじめとする音楽家たちの活動、演奏会によって「純粋音楽」が大衆の広まっていく様子が速記者のようにテンポよく描かれている。ブルジョワ市民の台頭とその後に続く大衆の登場。単純に年で区切るとすれば、1789年と1848年の革命の間の60年間に社会の図式は大きく変化した。自分自身を王侯貴族に擬そうとするブルジョワと目覚めた大衆。第二帝政とはこの階級間の矛盾があからさまになっていく時に生まれたあだ花のようなもので、その結果が1870年以降の出来事として表れたのだろう。

ウィーンのムジークフェラインザールが1870年、ベルリンの旧ホールが1882年、ゲヴァントハウスが1884年、コンセルトへボウが1888年。「純粋音楽」の大衆化が1870年、第二帝政の髭をはやした道化師が退場したと同時に、オーケストラのためのホールという形で表れてきた。
そして1900年にはボストンシンフォニーホール、初めて音響工学に基いて設計された、が登場する。

さてと、
この音響に対する需要というものが生まれてきた背景、それと絡んで「純粋音楽」とはなにか。
また何故日本では多目的ホールなる珍妙なビルディングタイプ(決してアーキテクチュアではない)がはびこったのか。それは日本の音楽文化の歴史(西洋音楽の受容も含めた)とどのように関わってきたのだろうか。