ヴィチェンツア

雑誌でパラーディオの特集が出たのでしばらく考えてから購入した。

考えた理由はまた本棚に置いたままになるのではということと、パラ―ディオに関して知ることが実際の仕事とどう結びつくのかという功利的な考えがあってだが、買わなくてあとになって入手が困難で後悔することが面倒で結局注文してしまった。

パラーディオに関してはリプチンスキーの翻訳本は持っているのだが、それは図版とか写真があまりになくて文章を読む時によすがとなるものが少なく途中で読むのを断念したままになっていた。
注文する前後ぐらいにHOMEという雑誌にあった「パラディオ」の特集を見返しているとラ・ロトンダ紀行という文章(それもリプチンスキーの上記の本からの引用、ただし別の人による翻訳だったが)の上に VILLA BARBARO とキャプチャ―のある内観写真があって、それを見た時、少し前に久しぶりに訪れたある建物のことを思い出していた。

頼んだ雑誌が届いて、当然VILLA BARBAROは載っているだろう思ってめくって見たが、それらしき写真はなく、よくよく目次を見ればヴィラ・バルバロという項はなかった。
仕方なくインターネットでヴィラ・バルバロのホームページを探してみると、どうやらワイナリーとして使われているらしくその宣伝とガイドツアーの記述はあるが残念ながら内観写真は見当たらない。ワールド・ヘリティジの文句が虚しくトップを飾っている。他にネットにないかと思って探してみたがそれらしき写真は見つからなかった。

今のところそうした訳で、リプチンスキーの文章と雑誌の写真からその空間を想像するしかない。文章に、バルバロに関する建築家の二番目の図面に「十字形の広間」とあるので、それが内観写真の場所のことなのだろう。

皮肉めいて、「・・・このように口出しすることの多い施主は、たとえそれがよい意図にもとづくものであっても、建築家の仕事をかなりやりにくくするものである。パラ―ディオは後に、建築とは、「誰もが自分なりにわかっていると思いこんでいる仕事」であると書いている。」。
パラーディオの作品としては控えめでなく「禁欲的なたたずまいが欠けている」のはこの口出しのせいであると。
でも「たとえこれが彼の作品の中で最もよくできたヴィラではなかったとしても、これは確かに最も快活なヴィラである。」と結んでいる。
抑制を欠いたフレスコ画が足されていたとしても、それはそれで楽しい空間なのだろう。「ヴェロネーゼの傑作であるフレスコ画のおかげで・・・見物客の多いヴィラとなっている」、一般にはヴェロネーゼの絵のほうがアピールするということらしい。

ただその内観写真を見た時にフレスコ画ではなく、ヴォ―ルト天井の白さとその突き当りの白い壁に穿たれた窓、それが八ヶ岳にある美しい小さな美術館に通じるものを感じたのである。
似ているのは偶然でしかなく、しかし、美しく感じるのはそこになんらかの共通性、そして必然性があるからなのだろう。

完璧な家a+u (エー・アンド・ユー) 2011年 11月号